PROFILE

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1989年生まれ、みずがめ座
Ad:Astra Founder
メディアマネジメント及び哲学構築コンサルタント

幼少期〜中学生

茨城県の中でもド田舎に生まれて、自然の中で育ちました。
子供の頃の遊びはゲームもやりましたが、もっぱら外遊び。山を駆け回っていましたね。篠や竹で弓を作ったり、木でブーメラン作ったり、秘密基地を作ってみたり。
近所の田んぼ用の用水路でザリガニ釣りをしたり、川遊びをしてみたり。
長男らしさを活かして近所の少年少女を先導していた覚えがあります。年長者とも遊んでいたんですけど、小学校低学年くらいまででしたね。

この頃から自分がTOPに立たないと気が済まない片鱗が出ていますね、今思うと(笑)

あとさらに言うと、泣き虫でした(笑)
負けず嫌いと我慢強さが混じっていて、学校ではイジメられてよく泣いていましたね。
まぁ今思えばただのからかいの延長線上だったんですけど、当時はそう言うイメージでした。
まぁ悔し泣きだったんですよね、単純に。部活の試合で負けて泣いたり、大人にオセロで負けて泣いたりしていたので、とにかく負けず嫌い。ただ泣いてしまう自分はすごく悩みの種ではありました。

そんな自分を卒業するに至ったきっかけは、友達でした。
中学3年時に仲のいい友達がほぼ同クラスに集まって、そこで一気に笑いが増えてストレスもなくなりました。さらにその時に、他人の目を気にすると言うことをやめるきっかけも掴めて、順風満帆。
楽しい思い出で、義務教育期間が終わりました。

 

高校生

僕のターニングポイントの3年間です。
ある意味この時の経験が僕の原点でもあります。
当時、家のインターネット回線がADSLになり、念願叶って、前々からやりたかったオンラインゲームを始めました。
嵌り具合が半端なかったです。受験もあったので、結局1年しかやらなかったんですけど、そのサーバーでTOP層のプレーヤーになっていました。所謂廃人です(笑)
何がそこまで僕を駆り立てたのかと言うと、同じオンラインゲームの別のサーバーで支援退魔職でありながらBOSSをソロで倒すプレーヤーがいたわけです。

ヤベェ、カッコイイ!僕もやろう!

これだけです。
これだけで、たった半年で支援退魔職で倒せるBOSSを倒しまくれるようになりました。つまり半年と少しでそのサーバーのTOP層のプレーヤーにいったわけですね。廃人です(笑) 当時付き合ってもらった友達数名には感謝です。めちゃくちゃ振り回しましたもんね…。
もちろん勉強そっちのけ。成績は下がる下がる。この時ブログ運営もやっていました。そこそこアクセス集めていたので、アフィリエイトやっていたらいい感じに収益上がっていたんだろうなぁと思います。
そしてこの時、自分の特性に気づきました。
僕は”明確な目標”を定めると強い、ということです。
他人の目や意見なんてなんのその。必要な情報を集め、練習を行い、日次目標を決め、それをこなし続ける。その集中力と意志力たるや、なかなか目を見張るものがあります。

高校生時にはもう一つ忘れられない経験があります。
当時2年生〜3年生を過ごしたクラスが、個性豊かなメンバーで進学校ながらなかなか破天荒なメンバーでした。その時に、“タガを外す”ということを覚えました。長男なので変に我慢というか、無意識に抑えている部分があったので、これは革命的でした。

 

大学前期〜中期

勉強頑張らなかったので、偏差値的にはそこまで高くない大学に行きました。
ただこの時代にした経験は、今でも財産ですね。仕事を作り、組織を動かすことを覚えました。
学園祭の実行委員会にサークルとして参加したわけです。
理由は、高校生時にクラスで出し物をしたのが楽しく、みんなで一つの目標に向かってそれを成し遂げるのが面白かったんです。だから今度はそれをもっと大規模なものを創る側に回りたいなと思ったのが動機でした。
この時の経験は、一口には言えない経験ばかりです。
箇条書きにすると、

・リーダー論
・チームマネジメント
・組織マネジメント
・新規プロジェクトの立ち上げ
・プレゼンテーション

一つ一つが濃厚で、社会人時の経験も掛け合わせると、それだけでコンテンツが作れてしまうくらいです。個人的に手痛い挫折、失敗もこの時にしまくっています。
ここで書くと半端ないくらい長くなってしまうので、また別枠で書こうかと思います。
あとこの時、初めての衆議院選挙がありました。当時の鳩山さんの率いる民主党が大勝した時です。
僕はこの時、しっかり自分の考えでもって投票したかったという考えがあり、政治の勉強をし始めました。特に新聞やTVなどフィルターの掛かった情報で踊らされるのが嫌という考えで、そのソースを見つけ多角的に考えたり、国会答弁を見たりなどいろいろしたのを覚えています。
この時、社会というものをうっすらとですが、はっきり理解することができました。

 

大学後期

学園祭の方は3年生で引退なので、そこからは卒業研究及び就職活動。僕の時代はリーマンショック直後、一つ上の先輩は冬に内定切りを喰らったりと、逆風どころか台風が吹き荒れる中の就活になりました。僕は理系でしたが、文系の人はもっと苦労したように聞いています。

ただ、世間の逆風なんていざ知らず、僕は余裕綽々でした。
学園祭の経験もあったので、大丈夫と思っていたわけですね。ただ別なとこに悩み始めるわけですが…。
目標がなかったんです、やりたいことも。
最終的には解決するので、それは「無視して考える」を読んでみてください。
同じことで悩んでいる人の一助になると思います。

この時、今に至る目標、「日本や世界をもっと良くする」を見つけたわけです。
これは前述の、政治に興味を持っていたことが大きいように思います。
そしてここから僕の、その目標に至るためのプロセス模索の人生が始まります。

 

大学終盤期

なんでわざわざ分けたかというと、この時個人的にも社会的にもたくさんの事件があったからです。
日本社会的にいうと、民主党政権が発足され1年が経過し、当初から予想していた通りとにかく壊滅的で、苦し紛れに首相交代した頃です。
僕が、上述した目標を定めるに至った一つのきっかけは、「尖閣諸島中国漁船衝突事件」です。これを僕は東京駅にてニュースで見て、「日本社会を良くするための仕事」に就きたいと思いました。僕は日本が好きなので、世界を良くするにも、まずは日本からという意識が強いんですよね。
とは言うものの、すべての職種がある意味、「日本社会を良くするための仕事」なわけで、その中で何がいいのか考えました。
それが僕の中で、公務員or政治家でした。ダイレクトに日本社会に関われることをやりたかったんですね。
そして結論、政治家は年齢的にも無理なので、公務員にしました。
公務員と一口に言ってもたくさんあって、その中で何にしたかと言うと、「東京都職員」です。
これには理由があって、まずは国家公務員。その中でも国家一種(現在の国家総合職)が本来は一番最適なのだけど、ここはまだまだ学閥が激しいと聞いていたので、僕みたいな二流私大じゃ人事的に上にはいけない。じゃぁ国家二種(現在の国家一般職)はというと、所詮官僚候補の下なのでこれまた上にはいけないわけです。
結果、国家公務員じゃ上にはいけず目的は果たせません。じゃぁ地方公務員はというと、出身県の県庁じゃお話にならない。そうすると国にも影響力があり、地方の中でも別格に存在感があり、ある程度民間のシステムを入れている「東京都職員」が最適だなと思ったわけです。

目標が決まればあとは簡単です。すでに就職が決まっていたにも関わらず、次年度の公務員試験合格のための猛勉強が始まりました。卒業研究やりながら法律・政治・経済など15教科の勉強を大学4年の冬からやり始めたわけです。特に都庁試験は、専門論文試験もあるので、生半可な暗記じゃ意味がありません。しっかり理解をしなければいけない。
そして、そんな中起きるわけです、あの「東日本大震災」が。
その日は千葉の予備校で勉強していました。11階建てのビルの10階にいたもんだからめちゃくちゃ揺れて、少しリアルに死を覚悟したのを覚えています。
挙句、電車は線路が壊れたことで完全に寸断。茨城に帰ることはできず、家族との連絡も取れない。流石に心配しました。
結果的に10日経って帰ることができましたし、家族の無事もすぐ確認取れたので良かったのですが、この時気持ちを新たにしました。

僕がやらないといけない、と。

 

社会人一年目

いろいろありましたが、無事就職。
公務員試験も終盤になり、ラストスパート。新しい環境で勉強時間も確保しなければならなかったので大変でしたが、体力と気力でカバー。頑張りました。

その甲斐あり、筆記試験及び論文試験は合格しました。
都庁の試験は、筆記及び論文で半分近く落とし、面接では1/4〜1/3ほどしか落とさないので、あとは正直余裕だと思っていました。
揉まれまくったので面接は得意だったからです。しかも特に今回は、絶対に入りたいという想いとやらもバッチリ。受かるの当たり前だし、落ちるわけがないと思っていました。

はい、もうわかりますね。
見事に落ちました。

意味分かりませんでした。
通知を見たときの、頭の中の「?」の数といったら。
とりあえず友達呼びつけて飲んだ覚えがあります。
そして一頻り飲んで落ち着いて考えてみました。
よくよく思い返してみると、僕は面接で、東京都でやりたいことについて聞かれたときこう語っていたんです。
「○○したい、○○を変えてこうしていきたい」

…そりゃぁ落ちるよな、と思いました。
公務員という人種に受けるわけがない応対をしていたんですよね。
想いが強すぎて、それが悪い方に作用したわけです。
当時の予備校の先生にも驚かれました。

このとき悟りました。
僕には公務員は向いていないんだな、ということを。
そして既に思っていました、サラリーマン組織には向いていないんだな、と。

 

22歳後半〜23歳後半

都庁にはいけませんでしたが、公務員試験の勉強は僕に広範な知識を残してくれました。この時の勉強のお陰で、既に今のままサラリーマンだけやっていたらダメな社会情勢になっていくということも読めていました。
さらに言えば、自分が今までいかに知らなかったか。世間がいかに知らされていないか、を公務員試験を通して能動的に調べるようになって気付きました。

そして次に自分がどうするか、の深掘り作業にここから入っていくことになります。
目標は依然変わっていませんでしたが、より具体化していかなければいけないなと考えるようになりました。
そこからですね、いろいろな人と会い、情報を集め、話しながら考えを深めて行きました。
その結果、僕が日本や社会を良くするために変えたいのは、「教育」であると結論付いたわけです。同時にどのような人生にしたいのかも、この時に決まりました。それについては、「死に様は生き様」を読んでみてください。

それと時を同じくして決まったことがあります。
それが自分のビジネスを持つ、ということです。
僕がやりたいのは「教育を通して日本社会、そして世界を良くする」ということですが、それに対して下手な投資されたりすると、その想いに対して変な思想が入ることになります。あくまで、その理念に賛同していて実現させて欲しいから、そのために援助をしたい、という状態に持っていく必要があります。
そのためには、僕自身に「何ものにも媚びずに戦うため実力と経済力」をつけなければいけません。
将来的に家族を持つことも考えれば、それは必須条件です。足元ぐらついている人間が社会変革なんてできませんからね。

 

ビジネス時代(23歳後半〜現在)

挑戦と挫折と成功と絶望と浮上の時代です(笑)
様々な経験をしています。
書いたら半端なく長いので、これはまた別枠に持っていくことにしましょう。